カンボジアに学校が足りない理由は過去のあまりにも悲惨な歴史が影響しています。
1976年~1979年ポルポト政権下のカンボジアではたった3年8か月で、200万人~300万人当時の国民の約3人に1人が虐殺されたと言われています。
このポルポトという首相は「階級・格差のない国家」を目指し全国民に農業のみを従事するように強いました。そしてこの思想を実現するために、国の中で知識があると見なした人間を全て殺したのです。
ポルポトは知識が人々の間に格差をもたらすと考えました。
そのため格差を作る原因となる知識を持った人間、医者、教師、学者、学生、読み書きのできる人、挙句の果てには眼鏡をかけているという理由だけで殺害していきました。この時に教師の約9割が殺害され、すべての小学校、中学校、高校、大学の教育機関はすべて破壊されてしまいました。
だからこそ現在のカンボジアでも教師が足りない、学校が足りない地域がまだまだあります。
ポルポト政権終了時には多くの大人の世代が殺害された結果、国民の85%が14歳以下となり今現在も国全体の平均年齢は25歳前後と若い世代しか残らなくなりました。
だからこそ、色んな国や地域からの支援がカンボジアには必要となったのです。